まちづくりの〝杜氏集団〟を形成すべきだ毎日フォーラム誌(2014年1月号)
地方の経済と社会が衰退し続けているという、日本が抱える喫緊の課題解決のために、政府はこれまでに地域力創造アドバイザーや地域再生マネージャーなどの人材派遣制度を実施してきた。斉藤俊幸氏はこの10年間、その仕事を請け負った自治体に定住して地元の人たちと「小さな社会実験」を展開している。その一方、アドバイザーとして求められて全国を飛び回っている、いわば地域活性化のカリスマだ。その現場で見て感じてきた地域の状況と再生への可能性を伺った。(聞き手 本誌・本谷夏樹)
- 地域総合整備財団(ふるさと財団)の地域再生マネージャーとしてスタートは?
- 斉藤氏
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04年に入った熊本県荒尾市です。かつては三井三池炭鉱で栄えたが、60年代からの石油へのエネルギー転換で次第に寂れ、04年の有効求人倍率は0・33と全国最低を記録したところです。ふるさと財団の地域再生マネージャー制度は現地に定住することが条件で僕は熊本県に5年間住み込みました。現在は愛媛県今治市のお手伝いをしており、今年で単身赴任10年目ですよ。
僕は26歳の時に今の会社を作り、大手シンクタンクの下請けで全国各地の大型開発事業の現地調査などをしていましたが、バブル崩壊後の90年代以降は暗黒時代でしてね。仕事が激減していました。小泉純一郎内閣の時に地域再生事業が始まり、小回りがきく僕のような者に声がかかってきた。1級建築士の資格があり、設計の図面が描けて建築の監督もできるから適正があったのでしょう。しかも下請けで苦労してきたから腰が低いですしね。
- 「荒尾再生」ではどのような事業をしたのですか。
- 斉藤氏
荒尾に行く前に、神奈川県横須賀市の商店街「協同組合追浜商盛会」で、濃縮果汁だけでワインを醸造する事業を手伝い、この収益でまちづくりを行う実績を上げていました。ぶどう畑がなくてもワイナリーを開設できるという規制緩和で実現した初めての事例でした。ふるさと財団から最初に話が来たときは、それと同じようなことをして雇用を増やしてほしいということでした。ところが現地に入ると、中央商店街の人たちが「野菜の直売所をやりたい」というのです。1㌔先に年商100億円もの大型ショッピングモールができたためにいくつもの店がつぶれてしまった商店街なのに、なぜいまさら八百屋なのか、最初は理解できませんでした。ところ開店初日に年取ったおばあさんが買いに来て分かったのです。おばあさんは近くに八百屋がなくなってしまったので1㌔先のスーパーにタクシーで買い物に行っていたのです。お金がかかるから1週間に1度しか行けない。「このところ青物を食べていなくてね。本当にありがとう」と言って野菜を買っていったのです。これが「買い物難民」との出会いでした。「買い物難民」などという言葉が生まれる何年も前でした。高齢者が孤立している地域がたくさんあるという、現場に入らなくては見えない地域課題の発見です。
- それが発展していったのですか。
- 斉藤氏
2軒目の直売所はかつての米蔵の軒先に、保健所の指導があって地元の大工さんが小さな壁と天井をこしらえて、野菜のほかに加工品や漬物、パンやジャムなども販売し1日に15万円売り上げました。近所の人たちがどんどん買い物に来る。翌年に台風の直撃を受けて米蔵が全壊するという憂き目に遭いましたが、地元で400万円の資金を集めて直売所を再開しました。直売所は3店舗に増え、パン屋や花屋、コーヒーショップなど計7店舗に増えました。僕はこれを「徒歩圏内マーケット」と呼んでいます。半径300㍍圏内のマーケットエリアで十分成功できることを示したのです。僕は小さな社会実験だと思っています。このような実験を通して、意見を出し合い、光明を見いだし、地域再生への政策につなげていくことが重要だと思っています。
- 次は高知県に呼ばれました。
- 斉藤氏
ふるさと財団のセミナーが高知県で開かれ際に、尾崎正直知事に頼まれて、土佐市と本山町に行くことになりました。土佐市では地元の商工会青年部が中心になってうるめいわしのブランド化に成功しました。うるめいわしはそれまではあまり人気がなかったマイナー魚でしたが、地元の県立高知海洋高校の先生が、三枚に下ろして塩分5㌫で冷凍保存する方法を指導してくれました。1カ月後でも解凍すればすしやてんぷらにしておいしく食べられる鮮度を保っています。「企業組合宇佐もん工房」を立ち上げて新たな水産工場で生産を始めました。工場は県と市から補助金をもらいましたが、地元の住民からも500万円の資金を集め、小さいながらも資金循環や再投資につながっています。
本山町は人口4000人にも満たない山深い町ですが、そこに地域おこし協力隊員が10人も入り、その監督役を引き受けました。そのうち7人が定住を決意し、次の世代の担い手が育っているのです。その地域に貢献しながら、培った経験と技能を他の地域でも発揮できるような人材を育成していくべきしょう。いわばまちづくりの〝杜氏集団〟を形成して、その技能を求める地域に出向き、それぞれのコミュニティで付加価値を醸し出していけるような流れを作っていけたらと思っています。
- 今治市では離島の集落支援ですか。
- 斉藤氏
今治市の島しょ部に、しまなみ海道の橋梁部でつながっていない有人離島が八つあり、来島海峡に面する津島で生活支援の社会実験を進めています。この島は平均年齢83歳の20人が住んでいる限界集落です。あと10年もすれば無居住地域になるおそれがあります。吉海地区で活動するNPO法人アクションアイランドに生活支援事業を持ちかけたのがきっかけでした。NPOが海上タクシーを観光に使えることを観光客に周知して、観光客を受け入れる時に並行して集落住民の見守りや買い物代行サービス、島民の農林水産物の島外販売などを行う環境整備を進めています。今年9月には29年ぶりに秋祭りを復活させ、島外に出た子供たちも島に戻りみこしを担ぐなど、ひさびさに活気を取り戻しました。
- まちづくりの〝杜氏〟から見た地域再生への展望は。
- 斉藤氏
市町村の合併が進み職員数は合併前の6割に減少し、兼務が増えて文書化などの事務作業も増大して、職員が現場に行けなくなっているといわれています。現場に行かなければ地域課題は見えません。そこでフリーな立場の〝杜氏集団〟が柔軟に横断的に動くことで、課題解決への糸口が見つかります。小さな実験は失敗したら修正して何度もやり直しすればいい。その流れの先駆けとなる人材は、地域おこし協力隊の卒業生たちです。
日本がグローバルな競争に立ち向かうためには、東京など大都市ではより先鋭化した職能が求められるでしょうが、一方で、過疎地や縁辺部も柔軟で吸収力のある地域の形成が必要です。それがなくては本当の国の活力は出ません。戦後もずっと基本的には政府がトップダウンで計画を決め地方に押し付けてきたが、それはとかくオーバースペックで地方では使いきれないものが多かった。小さな実験の延長線上に身の丈にあったまちづくりの方向性があります。日本の新たな成長はそのような現場にあり、地方の縁辺部からの問題提起を忘れてはいけないと思います。